供養

 我が家の庭の彼岸花も盛りを過ぎました。上のほうは枯れかかっているのですが、下から新しい茎が伸びて力強く咲いています。

 

 このブログのコメント欄に毎回投稿されていたゆうじさんの供養の旅も一区切りついたようですね。

 

 たまたまこの夏の歴史資料館での催し、NPO笑和 命と人の尊厳を守る会(会長小川勇二)主催の「ながさき・ひろしま絵画展」を手伝ったことで、いろんな角度からの新たな事実を目の当たりにして、私の平和への思いは深く、強くなりました。

 

 私も戦後72年の旅へ同行させてもらったような気がしています。二日市保養所の「水子地蔵」に関する本が新たに出版され、その本の中で私の知っている方々の働きを再確認できたことは幸いでした。

 

 昨日の25日の毎日新聞の記事を紹介します。堤啓太さんという19歳の方の「ひ孫から見た戦争」という内容、上下シリーズでその締めくくりの文章です。

 

<「戦争の直接の被害」、それはもちろん恐ろしいものだ。しかし、「その後の被害」、それはもっと恐ろしいものだと考える。なぜか。「その後の被害」はあまり知られていないから。知らないということほど恐いものはない。人間は同じ過ちを繰り返すことになるだろう。分かっていても過ちは繰り返される。でも知ることで無くなる過ちも、きっとある

 

 私の亡父は飛行機の整備要員として、東南アジアへ出征し、その地で生死の境を何度も経験したようですが、家族には特に何も語りませんでした。けれども、地域への思い、特に子どもの育つ環境に対して人一倍思いの深い人でした。私は今それを受け継いで仕事をさせてもらっています。

 

 ゆうじさんはキヨおばあちゃんやお父様からいろんなことを教えてもらったようですね。その方たちの思いを今このブログで分かち合える素晴らしさにちょっと感動しています。

 

 ありがとう、ゆうじさん。また別の機会に新たな供養の旅に出かけましょう!

 

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コメント: 1
  • #1

    ゆうじ (火曜日, 26 9月 2017 17:14)

    ご多忙にもかかわらず長文お供養の言葉ありがとうございました。 せっかく長文を頂きましたので、彼岸明けとなる本日を『昭和への旅』の締めくくりに致します。 

     それから、9月21日(木)恩師の関西作法会会長 田野直美先生から電話を頂き私からの報告の後・・・、お父様が亡くなられてから過去帳を調べた時に名前のない子ら多数の記録が出てきたという話を聴きました。 「水子地蔵」各地で起きた出来事だったのでしょうか・・・?

     本日、粕屋町江辻に納められている「長勇の墓」へお参りしました。 沖縄戦で自決を以って責任を果たされた❝当時の❞立派な志を持った英霊のお墓です。 沖縄の友人からは牛島陸軍中将とセットで悪く言われて、私からは何も言えなかった経験がありますが・・・。
     粕屋町教育委員会のページで場所を確かめました。 飲食店「ダーメン」の近くでした。 到着と同時に蚊の群れに囲まれ、もっとヒドイ状況がビルマだったのかと伯父に教えられた気分でした。

     当時を生きた人達を分析したり研究することは大切と思いますが、今の平和な時代しか知らない私たちが安易に彼らを評価したり批判したりするのは良くないと思うようになりました。 私には今は未だ許す気持ちになれない東条英機であっても、家庭では1人の立派なお父さんだったのですから・・・。

     粕屋町立図書館の1冊から著者のメーッセージを紹介して彼岸の別れとします。
    高崎 伝(たかさき つとむ)「最悪の戦場に奇跡はなかった」49番の棚(/916/タ/)より・・・ 【最後の12行は必ず読んで頂きたく願います】

    血涙の詩  高崎伝

    火の雨の降る敵前上陸
    火の玉の炸裂する十字砲火の中の総攻撃
    遠い昔――
    血戦ガダルカナル島で
    戦い敗れ 弾丸はなく 食料もなく
    骨と皮に痩せおとろえた五ヶ月余
    ――私は
    飢えたる島ガダルカナルで
    天に慟哭(ドウコク)しながら死んでいった (※慟哭=悲しみのため声をあげ激しく泣く)
    竹内覚君を永遠に忘れない

    そしてまた遠い道――地の果て
    激戦インパールの敗退
    どしゃ降る雨季の印緬国境で   (※印緬=印度インド・緬甸ビルマ)
    日本兵の数千の白骨るいるいたる
    “白骨街道”悲劇の惨状を
    私はこの目で見てきた

    まだ生きている傷病兵の全身に
    ウジ虫がわき・・・・・
    その生ける屍がかすかな声で哀願した
    「私を殺してください・・・・・お願いします」
    最悪の戦場に奇跡はなかった――
    戦いすんで二十有余年
    あの悲しい声が
    私の耳朶(ジダ)からまだ消えない   (※耳朶=耳たぶ、耳)

    人びとはいまわしい過去を忘れても
    私は世界の平和がくるまでは
    決して忘れはしない  (※勇二のコメント:忘れたいのだが決して出来ない!)
    あの――ガダルカナルの島を
    あの――インパール“白骨街道”を

    日本の大人(おとな)たちよ
    平和への道がいかに遠くとも
    私たちはたゆむことなく
    努力し進まねばならぬ

    すこやかに学び
    すこやかに育つ
    日本の子ら・・・・・世界の子らを
    再び戦の庭に送るなかれ!
    未来永劫(エイゴウ)の大平和のためにも
    世界の中の――
    日本の大人の使命であり
    世界の大人たちの使命であろう
    地球上の戦火は今なお消えない
    平和を願う・・・・・
    異国の地に眠る
    世界の英魂の声であろう