インクルーシブ保育のはしり

 昨日は町民運動会でした。少々疲れ気味で気の重い参加でしたが、びっくりするような出会いに恵まれました。

 

 以前にも長者原駅で会って声を掛けられ、そのときも同じく驚かされたので、今日の立ち話の内容をさらに進めていつか皆さんにきちんと報告できたらと考えています。

 

 立ち話の概略

 話した方のお子さんは大学1年生。肢体不自由という重い障がいの持ち主。でもその方はいつも彼女を学校に引率するだけ、今はJRの駅まで。あとはそのお子さん自身の頑張りと周囲の協力・理解によって、保育所・小学校・中学校・特別支援学校高等部、そして大学の情報学科に推薦入学。今は自分の専門分野を生かした職業に就くことを模索中という。

 

 そのお母様がおっしゃるには、普通学級に入ることができたから今がある。周囲の子どもたちが普通に接してくれたことで生きる厳しさを一つひとつ乗り越えられたとのことです。

 

 小学校入学時は「前例がない」ということで当初教育委員会から入学を拒まれたようですが、ギリギリで許可が下り無事入学。最後まで入学できると信じていたというその方の応え。PTAなどの活動だけで、決して彼女のそばにはつかなかったということです。自分がそばにいるとどうしても友達との間に壁を作ってしまう、と言われました。

 

 赴任されたばかりの校長先生と担任の先生の尽力で、周囲の子どもたちが彼女の障がいを彼女そのものと受け入れ、どうしたら彼女らしく物事を進められるか、思いやりとかいたわりではなく、一人の友として、ある時は厳しく接したようです。そのことが今の彼女の頑張りに深く影響しているということでした。

 

 彼女が4歳になろうとしたとき、集団教育を受けさせたくて町立幼稚園の入園を希望されたようですが断られました。当時幼稚園は加配制度がなかったのです。その後保育所に相談、仕事を見つけて入園。そこでも初めてのケースで、ある保育士が「私が見ます」と手を挙げてくれたそうです。

 

 おそらくこれが粕屋町のインクルーシブ保育の始まりだったのではないでしょうか。多分試行錯誤の毎日。でもそれが町立保育所の財産として今あると思います。

 

 粕屋町の幼稚園に加配制度がついた頃のことを思い出します。幼稚園での受け入れ体制を変えるために10年前に一般質問をしました。発達支援教育のその辺から私も関わることができ、今は各幼稚園に数名の加配の先生がいらっしゃいます。

 

 町立保育所3園存続という請願を議会で採択した今、今後その施策の反映をどのようにするのか。町立存続の大きな願いの一つが障がい児保育の灯を消さないということでした。粕屋町の就学前施設での障がいのある子もない子もそれぞれがその子らしく十分に保育される環境をさらに拡充し、それが義務教育まで及んだらなんと素晴らしいことでしょう。

 

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コメント: 1
  • #1

    NPO笑和 命と人の尊厳を守る会 (水曜日, 04 10月 2017 20:32)

    今年の中秋の名月は、めずらしく素晴らしいです。

    父の死の翌日から、しばらくの間ずっと月を眺めていた日の私を思い出しました・・・。