棄権は危険

 毎日新聞21日夕刊の記事のタイトルです。サブタイトルとして「抗議の白票」は逆効果、

「よりまし」選ぶ知恵を、とありました。

 

 私は政治的には無所属を標榜しています。政治家の端くれとして最も大事に考えているのは、日本国憲法の成立過程で打ち出され、根幹となっている平和主義、基本的人権の尊重、国民主権です。

 

 特に地方政治の一端を担う町会議員という立場では、この憲法の第8章92~95条の条文に沿った地方自治の体系の中で仕事をしていることを誇りに思います。そうした中で日々思うのはこの体系のすばらしさ。全国町村議会議長会編による「議員必携」という書物をもとに職責を全うしたいと考えていますが、その根本にある「地方自治の本旨」の大元が現憲法なのです。

 

 だからこの憲法の趣旨を間違った形で運用しようとする今の安倍政権にははっきり抗議したいと考え、その意思を投票によって示します。

 

 昨日の「ヴィラのぞみ愛児園」の来賓祝辞で因町長は粕屋町の投票率の低さを訴え、是非投票に行ってくださいと強く述べていました。最近はどこでもこのことを最後に付け加えています。粕屋町はいつも投票率が低く議員出身の首長なので特に気になるのだと思います。私も同じ気持ちです。民主主義を育てる学校と言われる地方自治を守るためにもぜひ投票に行っていただきたいと特に若い方に望みます。

 

 同じく来賓として園児の演舞を見ながら、この子どもたちの将来のことを考えていました。5年後、10年後はどんな社会がこの子どもたちの前に立ちはだかっているのでしょう。平和であることを強く望まずにはいられませんでした。

 

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    ゆうじ (月曜日, 23 10月 2017 00:22)

    インパール作戦(詳細では、ミートキーナ戦の玉砕)で戦死の伯父は、大正8年生まれ。 華やかな『大正元禄』と昭和初期を過ごしたが、徐々に(昭和12年がターニングポイント)世界が変化。 ミートキーナ守備隊は、昭和19年の5月にイギリス空軍から集中砲火を受け食料も弾薬も無く、むごすぎる地獄へと❝急変❞したビルマの地で、最後の最後まで精神力で戦い続けた。 2か月後の7月に「死守命令」を受け骨となった。

    前年の昭和18年10月27日午前0時、命を懸け「早期終戦」を訴えた国会議員の中野正剛が自決を以って同志に呼びかけ多くの命を救おうとした。 しかし、いったん動いた車輪は止まることがなかった。 そして、「ヒロシマ」と「ナガサキ」という悲惨な結末と屈辱的な敗戦。 戦後も続く「闇市」と空腹。 博多港に押し寄せる「引き揚げ船」の涙。

  • #2

    ゆうじ (水曜日, 25 10月 2017 16:57)

    今日、気づいたこと・・・。

    皆様に最初に提言しながら忘れていた「徳川家康から視る世界」と「豊臣秀吉から視る」世界は真逆である! を、自らが思い知らされました。

    悶々とした中、菊部隊についてのみに集中して読破した夏から初秋でしたが、他部隊の手記(日記・日誌をもとにした記録)を読み解かねば真実は見えない! それと、『ながさき・ひろしま絵画展』と同様に体験者の著書しか信用できないと感じました。

    伯父の戦死の真実、いったい何年かかるのだろうか・・・。