こんにちは あるがままの「私」

 70年間生きてきたことになりますが、ずーっと自分自身が嫌いでした。何をいまさらとお思いでしょうが、気づきの大切さを思い知らされています。過去からの離脱でエネルギーが湧いてくるように思うからです。

 

 長いこと劣等感の塊で、自分をさらけ出せずに、まわりの反応を伺う私と、それを良しとしない私がいました。でも結局は折り合いをつけて、最後には不安に駆られ自分の主張を取り下げるパターンの繰り返し。

 

 周囲の方のほとんどは、私は自己主張のはっきりできる、強い人間だと言います。過去において本当に私が強く出られたのは「図書館つくり」の住民活動の時だけでした。この時は何が何でもやり遂げなければと思っていましたから。その流れで町会議員の仕事を頂いたわけですが、基本的には変わらず、折り合いをつけていい子ぶる、そんな弱さを抱えていました。

 

 その後15年が経ちましたが、最近まで自分の弱さを見せつけられ、肝心の時になると強く出れない私がいました。

 

 ところが今は違う。何が変わったのでしょう?

 

 一番の出来事は母と私、娘と私の関係改善。荷が軽くなったのです。な~だ、こんなんでいいんだと不思議な気がしています。

 

 母も娘も、ともに強烈な個性、特性の持ち主でその間を普通(?)の私は行ったり来たり。でも強いはずの2人が弱く、弱いはずの私が強く。私以外の方は私が何を言っているのかお分かりにならないと思いますが、事程左様に家族の問題は大きいのです。特に母との関係。

 

 私のあるがままを認めず、否定し続けた母。強烈な個性の持ち主でしたが、その母の根源的な弱さを知り、仕方がなかったんだと、その弱さも含めて今は愛おしくさえなっています。介護を弟の家族が一手に引き受けてくれているので客観的に考えることができ、到達できた境地かもしれません。

 

 時が解決したのかなとも思いますが、でも長かったです。今思えば、母と私の関係は根本的に日本の置かれた女性問題があると捉えています。娘と私の関係もそれが尾を引いていました。

 

 ある日、ストンと落ちたトラウマ。

 

 そして、今思います、心の奥底に秘めた己れの内なる声を私自身が認めないで誰が認めるんだと。適当にその場しのぎで取り繕わないで。今の私、本当の私を表に出して、これでいいんだよ。あるがままの私で、と私自身に働きかけることが必要。

 

 その過程でもたらされる生きる喜び。一つひとつ丁寧に向き合い、生きていく方策を打ち立てることができたら、私の70歳以後の人生も捨てたもんじゃないと思えるかもしれません。

 

 

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コメント: 1
  • #1

    nakano toshiro (土曜日, 20 7月 2019 09:48)

    在るがママを書かれましたね。◎