コロナ禍でのオリンピック開催について

 コロナウイルス感染拡大が続く中、7月23日には開会式が無事行われました。

 

 開会式は体調が悪く、途中までしか見ていません。夏風邪のようで、早く寝ました。ということで新聞報道による内容把握しかできていません。そのことをお断りして、私の思いを述べてみます。

 

 開催式の前、この2月から多くの要人が辞任、退任に追い込まれました。その大きな要因は人権意識の希薄さから来ていると考えています。

 

 戦後の技術発展の中で、国内での購買意欲が高く、物を外国に積極的に売る必要がなかった時代、国内で作って国内で消費する、そんな循環の中で私たちは生きてきました。小さな世界での成功が、思いやりが世界の中での勝者に繋がっていました。

 

 でも今は違います。外国との密な交わりの中で生きていかねばならない状況の中で、相手が、状況が、何を必要としているのかを瞬時に見極めなければなりませんが、日本のアンテナはとても弱い。

 

 狭い日本の中で、長年私たちは私たちなりの思いやりや気遣いの中で暮らしていましたが、今はもうそれが通用しない時代に来ています。世界標準の人権意識を持つべきだと。

 

 たとえば韓国ともきちんと向き合える姿勢を持ちたいですね。過去を謙虚に学べばできると思いますが、その謙虚さが薄れているのでは、と感じています。

 

  今からは人類にとって何が大切で、何が最も貢献できることなのか、そんな視点で考え行動する必要があるのでは。そう思ったら今の日本の状況は極めて危ういし、心もとないと感じます。

 

 コロナ禍という状況で、オリンピックの開催において炙(あぶ)り出される日本の現実を冷静に見極めて、今後の方向性を探っていかなければ。

 

 私に何ができるのか、できることからしよう、とアスリートたちの戦いを通して触発されています。

 

 皆さんはどんな思いでこの7,8月を過ごされますか?