沖縄戦77年 慰霊の日

 6月23日の毎日新聞夕刊より抜粋します。

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 太平洋戦争末期、米軍は日本本土を攻撃する拠点とするため沖縄に侵攻。1945年4月1日には沖縄本島中部に西海岸に上陸した。日本軍は本土決戦時間稼ぎのための持久戦を展開し、6月23日に司令官が自決するまでの3カ月にわたる地上戦となった。

 犠牲者は日米で約20万人。住民約9万4000人(推計)が戦争に巻き込まれるなどして命を落とした。その他沖縄出身の軍人・軍属2万8228人と合わせて、沖縄県民の4人に1人がなくなったとされる。

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 この記事を読んで、77年前の沖縄の悲劇が現在のウクライナにおけるロシア軍の侵攻と重なりました。

 

 ロシア軍は、ウクライナ東部をウクライナ支配の拠点とするために徹底的に攻めています。民間人の犠牲者も多く、2月24日から4カ月、何人もの人が、ロシア軍も含めて犠牲になったことでしょう。

 

 77年前の戦争を、もう少し早めに終わることができていたらたらあの沖縄の悲劇もなかったのではと思いますが、いったん始めた戦争の終結は難しいのでしょう。

 

 太平洋戦争におけるインド東部のインパール作戦も、終戦前後の死者がとても大きかったと聞いています。逆にそうならなければ終結できなかったのでしょう。国の、軍部の威信をかけて勝利を言い続け、やめることができなかったのだろうと思います。

 

 同じく毎日新聞で、昨年1月に亡くなった作家の半藤一利さんは、絵本「焼跡のちかい」で〈戦争だけは絶対にはじめてはいけない〉と書かれているそうです。

 

 一度始まった戦争を終えるのがどれほど困難か、してはいけないではなく、はじめてはいけないという言葉に込められた思いは、終戦が1日遅れるだけでどれほど多くの命が失われるかを知り尽くした人だったから書けたのではないか、と記事を載せた小国綾子記者は書いています。

 

 戦争を始める兆候を見逃さないということ」を示唆しているのかなと私は思います。その口実を与えない強い意志と武力に頼らない不断の外交努力が必要です。

 

 77年前の沖縄、そして現在のウクライナ、私たちはどこに目を向けなければならないのか、ただ一つ言えることは武力は決して抑止力にはならないということではないでしょうか。

 

 一度武器を手にすれば、段々にエスカレートしてだれも制御できないのでは?

 

 はからずもそうなった場合に誰が戦いを終結する指示を出せるのか。より多くの犠牲が伴う事態、悲惨な地獄のようなところまで行き着かないとできないものではないか、そのように思えてなりません。

 

 下の写真は「月桃のはな」。同名の歌を今年初めて知りました。沖縄ではとても有名な歌のようです。歌の紹介をします → (こちら