迷惑にならない生き方とは

 パソコンが故障し電源が入らないので、修理に出し、返ってきたのですがうまく作動しない。古い機種の部品で何とか動かしながら、一般質問の原稿を作っています。

 

 12月の一般質問3つのテーマは、「基本的人権の尊重」だと、というか、結果的にそうなりました。

  

 1問目は子どもの人権、2問目は婚姻の自由に対する権利、3問目は障がい者の投票権の行使についてです。

 

 テーマが重いのでいろいろ思い巡らしながら原稿を作っていますが、今朝、北欧在住の方が書いた記事が目に留まりましたのでお伝えします。

 

 日本では自分を通したら周りの人に迷惑をかけるから、迷惑をかけないように自分を抑える、というのが一般的な考え方です。その無理が自分にとってかけがえのないものだったら?!

 

 その無理を通すには、周りの人が何ができるか、無理はその人の持っている権利、最初から自分にはこういう権利がありますと公表したら周りは期待しないのでは。

 

 迷惑になりそうで、そこをきちんと伝えなくて、できそうな顔をするから期待される、期待してできなかったら周りはがっかりし、ひいては非難しトラブルになる。つまりいい子ぶって、トラブルを起こすということになる。

 

 「無理を通す」という考え方ではなくて、自分を大切に、自分の思いを明確に相手に伝える、多少のトラブルには負けない、その強さと、もう一つは周囲がその「無理」にどう付き合えるかです、という。

 

 北欧の人の考え方は、社会の中で、行政や企業、家庭では親が、「無理」を言っている個人にどう対応するか、できるか。

 

 まず一緒に考えよう、そして何ができるか試してみよう、ということのようです。

 

 権利の行使は大袈裟なことではなく、自分の現状、想いを相手に伝え、できることを共に模索することではないかという「示唆」をもらったように思います。

 

 そのためにはまず自分の思いをきちんと相手に、遠慮しないで伝えること、そのことは決して迷惑にはならず、その人が持っている人として当たり前のこと、そういう意識を社会全体が共有できていないといけないのですが。

 

 それが教育なのでしょうね。そうやって少しずつ住みやすい社会にしていくのでしょうね。そんなかかわり方ができるようになったらその社会は「成熟した社会」になるのではと感じました。まさに北欧はそういう国なのでしょう。

 

 そんな社会を私たちも目指したい、そう思いませんか。

 

 壊れたパソコンで追い込まれた私は、集中力でカバーするというあら技を掘り起こす結果になっているようです。74歳の、ともすれば衰えがちの頭に、とても刺激的な日々です。