母の日に寄せて ー脳の発達に及ぼす影響ー

 

 明日は母の日です。「母をこじらせて」という題のコラムが13日の毎日新聞朝刊に載っていました。「母の日は贈り物もいいが、一番必要なのは『母からの解放』かもしれないとし、最後は母を壊せ、そして母を喜べ」で終わっていました。

 

 強い言葉ですが、すごく共感しました。

 

 この日本の社会で何が一番つらいかというと、母であることの要求度が高いことです。「良妻賢母」という大きな壁が母である女性を苦しめます。

 

 家庭内で何か不都合なことが起きると、ほとんどの女性は自分を責め、さいなみます。言葉で責められなくても空気感でそう感じてしまいます。

 

 4年前にデンマークに行ったときにデンマークの女性がとてもうらやましくなりました。こどもは社会が育てるものとして教育の無償化、その成人した大学生には学べる環境整備のために生活費の支給さえあるのです。

 

 学びたいときに学ぶ制度も整い、いつでも学び直しができるので、18歳で無理やり大学に進学しないでもいいのです。

 

 子どもと親は別人格、特に母親にとってそれは大きな救いと思いました。こどもは自分の人生を国から保障されて、様々なことに挑戦、選択できるからです。一人の大人として見守っていればいいのです。

 

 なんという国でしょう。

 

 日本でも実現できないかと学び始めましたが、北欧の多くの国に同じような仕組みがあり、それはプロテスタント系キリスト教を土台にした文化の土壌と知り、日本でまねをしようにも土台無理な話と思い至り

、それ以後北欧について学ぶことを止めました。

 

 ところが再び毎日新聞の別の記事。11日の夕刊です。 

  性にとって不平等な環境が脳に悪影響を及ぼしている可能性がある」、性差別が脳の大脳皮質の厚みに影響しているとは、これって女性の心、体への影響は計り知れないほど大きいということになるのではないでしょうか。

 

 私が学ぶことを停止したままででは、次世代女性、娘たちの苦しみを容認、見過ごすことになるかもしれないと、今、痛烈に自己批判しているところです。

 

 北欧諸国の仕組みの学びを止めたらだめだ、日本の現状を何とかしなければ、と再び私の中で強く動き出すものが出てきています。

 

 いつの日か母であることを一人の人間として心から喜べますように。