母の死後1週間もたたないうちに私は77歳の誕生日を迎えました。
子どもたちのためにはよく手作りのケーキでお祝いしていましたが、私自身にとっては、このようなバースデイケーキは初めて。夫に頼み買ってきてもらいました、ろうそくも付けてねって!
夫と歌を歌い、ささやかなお祝いをしてもらいました。ガトーショコラの濃厚な味がのどに染みました。
不思議な心持でした。
母はあと1か月で100歳を迎えるはずでした。娘の私から見ても、ものすごい頑張り屋さんでしたが、その分私には怖い存在でした。長女で弟妹の面倒を上手に見れなくてなんでも不器用、幼い頃はいつ叱られるかびくびくしていました。
嫁いで初めて農業をし、白内障で目の見えない祖父の面倒、幼い3人の子どもの世話をしながら7年間も単身赴任だった父の留守を、本家の嫁として頑張り抜いた人でした。
手作りで何でも作り、タフな母は、私の大学受験には反対だった父を説き伏せてヤクルトおばさんをしながら、子ども3人を大学に通わせた人でした。
そんな母に私は感謝していると言いながら、娘らしい孝行はあまりできていなかったように思います。多分怖さを拭いきれず、自信の無さが心の澱(おり)となって心底向き合えなかったのだと思います。
だから悲しいという気持ちに浸ることなく、と言って後悔もなく、むしろよく頑張った人生でしたねと褒めてあげたくなる人として、空の向こうに見送りました。
お棺に、育てた赤いバラを入れてあげたのが、精一杯の供養になりました。野菜作りの名人、花が大好きな人でした。
父が議員になるのは猛烈に反対していましたが、私には背中を押してくれ、元気な頃には通信をご近所の皆さんに配ってくれていました。
そんな私が77歳、母のいない人生、これからどう生きましょうか。
風邪をこじらせてゴホッ、ゴホッと咳き込みながら書いています。