母が亡くなって40日。
雨曇りの寂しい天気の中で、けなげに咲いている白いバラに母の面影を感じました。
強くて美しい人でした。不器用な私に「なんばぼよぼよしようとね、あんたは」と叱責の声が今にも聞こえそうです。
没落(?!)という家の者同士の結婚で、家を何とか盛り上げたいと思っていた母は、父の7年もの単身赴任の間、白内障で目が見えなかった気位高い祖父と7歳を筆頭に、3人の子を育てながら4反半のコメ作りに一生懸命。
気が利かないと、いつも叱られてばかりの幼い日の思い出。
なんでもはっきり言う母は、彼女もまた気位が高く、地域の方に冷たく当たられるのが嫌で、意識のある最後まで地元が嫌いで、生まれ故郷の、今は親族は誰もいない「朝倉」という故郷を恋しがっていました。
彼女の中に地域を変えたいという気持ちがあったのでしょう、気の優しい父が町会議員に推されたときは猛反対。ところが私の時は背中を押してくれ、ニュース配りなども積極的にしてくれました。
20年前の懐かしい思い出です。